大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和49年(行コ)80号 判決

控訴人

山内明

外七名

被控訴人

日本国有鉄道

右当事者間の当庁昭和四九年(行コ)第八〇号休職処分取消控訴事件について、当裁判所が昭和五一年六月二九日言渡した判決に明白な誤謬があるので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

判決主文の1(二)項中「同西田治司に対し金一五〇万円、」とあるを「同西田治司に対し金一五〇万九〇円、」と更正する。

昭和五一年七月一日

(浅沼武 蕪山厳 高木積夫)

判決

控訴人

山内明

外七名

右控訴人八名訴訟代理人

雪入益見

外一名

被控訴人

日本国有鉄道

右代表者総裁

高木文雄

右訴訟代理人

真鍋薫

外一名

右訴訟代理人

岡嶋文治

外二名

控訴人側訴訟代理人

雪入益見外一名

被控訴人側訴訟代理人

真鍋薫外一名

岡嶋文治外二名

主文

1 原判決主文第二項を次のとおり変更する。

(一) 被控訴人が昭和四四年三月四日控訴人溜和典、同牛根慶夫、同西田治司、同野添勲、同北弘人、同吉留務、同鶴田征四郎に対してした休職が無効であることを確認する。

(二) 被控訴人は、控訴人山内明に対し金九万三、三五七円、同溜和典に対し金一四八万一、七二三円、同牛根慶夫に対し金一三三万九、八二二円、同西田治司に対し金一五〇万円、同野添勲に対し金八六万六、四四六円、同北弘人に対し金一〇四万三、二一〇円、同吉留務に対し金六八万三、三四六円、同鶴田征四郎に対し金一二三万二、二三〇円、及び右各金員に対する昭和四七年九月一日から支払ずみにいたるまで年五分の金員を支払うべし。

(三) 被控訴人は、控訴人溜和典に対し金二七万七、二〇〇円、控訴人牛根慶夫に対し金一八万九、八四〇円、控訴人西田治司に対し金二三万五、〇六〇円、控訴人野添勲に対し金一三万三、〇〇〇円、控訴人北弘人に対し金一六万〇、五八〇円を支払うべし。

(四) 被控訴人は控訴人鶴田征四郎に対し昭和四七年九月一日から本裁判確定にいたるまで一か月金二万七、二六〇円の割合による金員を支払うべし。

(五) 控訴人らのその余の請求を棄却する。

2 控訴人らのその余の本件控訴を棄却する。

3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4 この判決は、主文第一項(二)ないし(四)につき、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一休職は行政処分かについて

被控訴人は、被控訴人が控訴人らに対してした本件休職は行政処分であるところ、本件訴訟は行政事件訴訟法三六条の無効確認の要件を充足せず、かつ被控訴人は同法三八条、一一条の被告適格を有しないので、いずれの点からも不適法であり却下すべきである旨主張する。

被控訴人は国鉄法によつて設立された公法上の法人で、公共企業体等労働関係法にいう公共企業体であり、職員も公務員に準ずるが、職員を休職にする権限の行使は、被控訴人と職員との労働契約に基づいて成立する労使関係を規律するものであつて、国民に対する関係で優越的地位において公権力を行使するものではないばかりでなく、公務員のような特別権力関係における権限の行使ではないから、行政事件訴訟法三条二項の「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」とはいえないものと解するのが相当である。なお、被控訴人は控訴人らに対し休職に付したのは鹿児島鉄道管理局長であつて、被控訴人ではないから被控訴人には当事者適格がないというが、休職処分が行政事件訴訟法にいう行政処分でないこと前記のとおりである以上同法三八条一一条の適用はなく、右休職処分の無効確認を求める本件のような民事訴訟事件ではその法律関係の主体である被控訴人が当事者適格を有するものというべきである。控訴人の前記主張は失当である。

二休職無効確認の利益について

1 控訴人山内関係。

控訴人山内は昭和四四年六月二二日解雇されたことは後記認定のとおりであり、本訴が認容されても復職できない現状にあるところ、同控訴人は、本訴において、休職期間中の賃金不足額の支払を求めているが、休職が無効であるとの点は右訴の前提問題として主張すれば足り、その他に特段の事情の認められない本件では、特に独立して休職の無効確認を求める法律上の利益はないというべきである。したがつて、控訴人山内の本件休職無効確認の訴は不適法として却下を免れない(以下、控訴人山内に関しては、右賃金請求の前提問題として、休職無効の主張の当否の判断をする)。

2 控訴人山内、同鶴田を除くその余の控訴人の関係

右その余の控訴人らが無罪判決確定により復職していること後記認定のとおりであり、これによつて休職を争う主な目的は達成している。しかし、現在のままでは、公判中の休職措置は有効として取扱われ、給料の一〇〇分の四〇の不払いが正当化される虞れがある(もつとも、この点は前提問題として争えば足りることは控訴人山内と同一である)ばかりでなく、休職期間中の昇給、昇任、復職後の給与、将来における配置転換、功績章その他一切の人事上の取扱いの点で、休職が右控訴人らに不利な影響を及ぼすべき関係にあるから、これらの不利益を全く除去するため、右控訴人らは現在においても右休職が無効であることの確認を求める法律上の利益を有するものというべきである。

3 控訴人鶴田は、未だ復職せず被控訴人は右休職が有効である旨主張しているから、その無効確認を求める法律上の利益を有することもちろんである。

三休職の事実について

被控訴人が昭和四四年三月四日控訴人らに対し、控訴人らが別紙公訴事実につき起訴されたことを理由に、休職に付する措置をしたことは当事者間に争いがない。

四休職の効力について

1 起訴休職と無罪判決の関係

〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。

控訴人吉留については、第一審鹿児島地方裁判所が昭和四五年八月六日有罪判決を言渡し、同人から控訴の結果第二審福岡高等裁判所宮崎支部は昭和四六年一一月九日公訴事実の証明がないとして原判決を破棄し無罪判決を言渡し確定した。その余の控訴人については、第一審鹿児島地方裁判所が昭和四八年三月一七日いずれも公訴事実の証明がないとして全員無罪の判決を言渡し、控訴人山内、同鶴田については検察官から控訴し第二審福岡高等裁判所宮崎支部で審理中であるがその余の控訴人らについては控訴がなく無罪が確定した。

以上のとおり認定でき、これを左右する証拠はない。

そこで、右無罪判決と起訴休職との関係について検討する。まず起訴休職は国鉄法三〇条一項二号、就業規則五九条一項二号、協約一一条により被控訴人の裁量によつて 職員が刑事事件に関し起訴された場合になされるもので、当該職員をその意に反してその事件が裁判所に係属する期間中その職務から排除するものである。休職者は職員としての身分は保有するが、その職務に従事しないこととなり ここに休職の本質がある。すなわち刑事事件によつて起訴された職員は当然には職員たる身分を失うものではないが、爾後当該事件が裁判所に係属する間は刑事被告人として裁判所という他の国家機関の権威のもとに齎らされ、その管理拘束に服せしめられるので、本来の使用者である国鉄の統制の下で職務に専念することが困難となるところから、その間身分を保有しながらも職務に従事しないことの故をもつてその責任を問われることのないよう保障するのである。それと同時に他方において、職員が一旦起訴されると、有罪判決のあるまで無罪の推定を受けるとはいえ、現実には裁判の結果公訴事実が認定され、犯罪の成立ありとされることの蓋然性が高いことから、当該職員に相当濃厚な犯罪の嫌疑が生じ、その事実と職員の地位職責の如何によつては、これをそのまま職務に従事せしめるときは外に対しては信用を失墜し、内に対しては職場規律に影響なしとしないことから、これを休職に付して職務から解放することに意義あることとなる。この面においては通常公訴事実が起訴休職の基礎となる事実というのを妨げない。

しかし、起訴休職の本質は、本来労働関係を規律する措置であること右の如くであつて、犯罪の成否には直接の関係がないから、後日公訴事実の証明がないとして無罪判決が確定したとしても、遡つて直ちに当初から起訴休職が無効となるものではない。けだし、通常起訴にかかる公訴事実が認められなかつた場合でも、事件の係属中職員を職務から解放する必要の存したこと及び公訴事実によつて特定された犯罪の嫌疑が事件の係属中存続したことは無罪判決があつても、休職の理由たる意義を失うものではないからである。従つて控訴人山内、同鶴田について一審で無罪の判決があつたがまだ確定していないからもとより、その余の控訴人らについて無罪が確定していること前記認定のとおりであるけれどもこれによつて本件休職が無効に帰したものといいえないこと明らかである。

しかし起訴休職は反面において、これを受けた者は職務の執行から排除され、給与の一部もしくは全部の支給を受けず、昇給その他の面の処遇の面でも多くの不利をこうむり、しかも刑事事件の係属は不定期間に及ぶ等においてはなはだしい苦痛であつて、これを全体としてみれば懲戒処分としてなされる停職にも比すべき一の不利益処分というを妨げない。従つてこの処分をするに当つてはそれが裁量によつてなされるとはいえ、その権限は適正に行使すべく、いやしくも裁量の範囲を逸脱し、もしくはその濫用に当ることのないようつとめるべきであつて、たんに起訴があつたというだけに止まらず、公判の見とおし、身柄拘束の有無、公訴事実によつて特定される嫌疑の内容、その罪名、罪質、当該職員の地位、身分、職責と公訴事実との関係、それによつてその者がそのまま職務に従事することが外に対しては国鉄の名誉信用を傷つけ、内にあつては職場の秩序規律を損なうようなことがないか等一切の事情を考慮して慎重になすべきものと解される。よつて以下この見地から本件休職処分の効力、とくにそれが裁量権の濫用に当らないかどうかを検討する。

2 まず本件起訴にかかる公訴事実を中心とする前後の事情と各人の行動についてみる。

(一) 動労からの脱退と動労の対応策

〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 控訴人らが本件休職処分発令当時いずれも被控訴人の職員で、鹿児島機関区に勤務し 控訴人山内、溜及び西田は機関士、控訴人牛根、北、吉留及び鶴田は機関助士、控訴人野添は燃料係であつたことは当事者間に争いなく、鹿児島機関区は、職員数区長以下三八〇名、うち管理職は内田区長ほか一〇名の助役で、他はすべて労働組合員であり、その所属内訳は動労三〇八名、国労六一名、新国労(後の鉄労)零、控訴人らはいずれも動労鹿児島支部に所属し、控訴人山内が執行委員長、同溜が執行副委員長、同西田、同牛根が執行委員、同北は青年部書記長、同野添、同吉留は青年部幹事であつた。

(2) 被控訴人は昭和四二年三月三一日EL、DLの機関助士廃止を含む国鉄職員五万人の合理化計画を発表し、動労は機関士(当時機関区で一四〇名)を補助する機関助士(当時機関区で一〇九名)を廃止することは、機関助士の職場が失われ配置転換で不利益な取扱いを受けるであろうと予測して、これに強く反対し、動労の鹿児島地方本部(以下地本という)の指導の下に、昭和四三年三月、同年九月にストライキ、順法斗争を行つたが、被控訴人はこれを理由に、動労支部組合員のうち合計一七三名に対し懲戒処分(停職二〇名、減給一一八名、戒告二三名、訓告一二名)を行つた。動労組合員中には、右懲戒処分のための弁明弁護手続中は功績章(勤続三〇年の者に記章及び金一封を与え、職員から名誉あるものとの評価がされる表彰制度)授与の積算期間の進行が停止するので、懲戒処分には不服を述べず功績章期間を進行させたいこと、動労の斗争方法では常に大量の処分者を出すばかりで組合員の利益に合致せず国民に迷惑を及ぼすことなどの点で動労の方針に不満を抱く者があり、これらの者が相談の結果野村進ら一五名が同年一一月三日動労を脱退し、直ちに新国労に加入届出をした上野村が分会長となつて機関区内に第三組合を結成し、ここに動労が分裂するにいたつた。

(3) 動労は同年一二月二日地本執行委員会で、一部組合員の脱退、新国労加入は、脱退者の一部から聞いた理由などから推察して、被控訴人の管理者が組合運営への支配介入を意図してした動労分裂工作によるものとの認識に立ち、動労の組織防衛のため、脱退者に復帰するよう随時随所において説得し、これにより脱退者を一人でも多く復帰させるとともに、脱退の後続を防止し、職場集会を開いて組織を再確認し団結の強化を図ることを決定し、同年同月三日動労支部執行委員会でその具体的な実施方策を検討した際、まず脱退者各人に会つて脱退理由を聞き、脱退理由が薄弱であることを話して動労への復帰をすすめることとし、その説得にあたつては暴力を振わずまた相手からの挑発にも乗らないようにすることなどを定め、控訴人らはこの方針に基づいて脱退者の説得行動をした。その結果、脱退者のうち二名が同年一二月五日に動労に復帰した。右説得行動は、組合の統一的行動としては一応同年一二月末ごろで区切りをつけ、後は各人が適宜行なうこととした。

以上のとおり認定することができ、右認定を左右する証拠はない。

(二) 各控訴人の説得行動

(1) 控訴人山内(公訴事実一(1)(2)関係)

〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。

(イ) 控訴人山内は動労組合員七、八名とともに、昭和四三年一二月七日午後四時三〇分ころ機関区更衣室で、動労を脱退し新国労支部分会長になつた野村進機関士を取囲み、同人に対し大声で脱退理由を問いただし、主として控訴人山内が復帰の説得をし、他の者が同調して罵声を放つなどしたところ、野村はこれに対し強い口調で反発応酬し、これを見て近付いて来た丸内静夫首席助役が控訴人山内らに対し、「野村はこれから乗務する。時間だから説得を止めなさい。」と数回述べ、そのうち着がえをすませた野村が更衣室を出て行つた。

(ロ) 控訴人山内は昭和四四年二月一四日午後四時三〇分ころ野村が乗務の際の点呼を機関助士とともに受けるべきであるのに一人で受けようとしていたのを見とがめ、野村に対し、「一人で点呼を受けるのはよくない。野村機関士は機関助士廃止に賛成だから一人で点呼を受けようとしているのか」と難詰するとともに、その点呼をしようとした野毛助役にも同旨の抗議をしたため、野村は面目を失つた態度を示した。そのうちに出勤した末広機関助士とともに点呼を受けた後、野村が出入を禁止されている運転室裏口から出ようとしたので、控訴人山内は野村に対し裏口から出ないよう注意し、野村は手前で立止り躊躇していたところ、野毛助役からも同じ注意をされて裏口から出るのを断念し、控訴人山内はそれを見て自分も運転室から隣りの乗務員室に戻るため歩行していた。ところが野村が後方から急ぎ足で控訴人山内に追いつき、さらに、その右側を越すような状態で控訴人山内に体当りし、控訴人山内を左に突飛ばすようにして右前方に進み出ようとしたので、控訴人山内は突嗟に同人の左腕を掴み、「何をするか。危いじやないか。謝らんか。」と抗議したところ、野村はこれを振りほどき、「仕事だ。そんな所にぼさつと立つているからだ。」と述べ、折からその附近に居た二、三名が野村に控訴人山内と同旨の抗議をしたところ、野村は、「仕事だ。どけどけ。」といつて所携の時刻表(その容器は幅約一五糎、長さ約四〇糎軽金属の枠のあるセルロイド製のもの)を振り廻したので、控訴人山内は野村の振り回した手を掴みこれを制止したところ、野村はこれを振廻すのを止めて、乗務員室を出て行つた。

以上のとおり認定することができる。〈証拠判断略〉、他に右認定を左右する証拠はない。

(2) 控訴人山内及び同鶴田(公訴事実二関係)

〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。

控訴人吉留は昭和四四年一月一八日西鹿児島駅で機関助士として機関車の入替作業中、隣りの車線に停車中の機関車に乗車しながらミカンを食べていた脱退者の伊集院操(当時四六歳、機関士、以下伊集院という)を見て、勤務中にミカンを食べるなと注意したところ伊集院は「若僧が何をいうか。」といつてミカンの食べかすを控訴人吉留に投げつけた。控訴人山内は執行委員長として控訴人吉留からその旨をきき、また他の者から伊集院がさきに川内駅の動労組合員長谷川に対し脱退を勧誘した旨報告を受けたので、脱退者である伊集院と直接話合う必要があると考え、同日運転室で同人の仕業終了を待つていたところ、帰つて来たので、この件について点呼後に話合いたい旨申入れた。伊集院は同日午前九時二〇分ころ点呼を終了したが、控訴人山内との話し合いを避けて裏口から出て行つたので、控訴人山内はその後を追い、三番線の車庫附近に停車中のDD五一機関車前部右側附近で車体から数一〇糎離れた辺りで伊集院に追いつき、右控訴人吉留に対するミカン投げつけの件及び長谷川に対する動労脱退勧誘の件について問責したところ、伊集院は非常に厳しい顔で何も話すことはない旨述べ若干歩行したので控訴人もこれに並び問答を繰返すうち、その様子を知つた控訴人鶴田(当時二八歳、機関助士、以前に伊集院の助士として乗務したこともある)も来て、右機関車後部附近上で、伊集院に対し、ミカン皮投げつけのことを激しく非難したところ、伊集院も立腹し鶴田に対し「後輩のくせに黙つておれ」といつて持つていた鞄を振り廻したので、同控訴人が重ねて「先輩なら先輩らしく行動せよ」と応酬したところ、伊集院は憤然として、鞄を下げたまま右肩を落し飛びかかるようにして控訴人鶴田の胸に体当りし、同控訴人がよろけながら二、三歩下がり、「ないをすつとか」と抗議し、立直つた後、さらに同控訴人に対し同じように体当りをしようとしたので同控訴人が「二回もうたつか(二回もやられるかの意)」と右足を引き伊集院の身体にふれながら体をかわしたため、伊集院は勢い余つてその場に手をついた。その後伊集院が立上つて控訴人鶴田と口論している際に、内田機関区長と麻生助役が来て、同控訴人らに対し、暴力を現認したが暴力を振つてはいけない旨述べたので、同控訴人らはこもごも区長らに対し暴力を振つたことはないこと、伊集院が体当りをし暴力を振つたことを述べて、区長らの右取扱いに強く抗議した。

以上のとおり認定することができる。〈証拠判断略〉

他に前記認定を左右する証拠はない。

(3) 控訴人牛根、同溜(公訴事実三、四関係)

(イ) 〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。

新国労鹿児島地方本部書記長木原司兵衛(他の機関区員)同支部書記長下豊留睦男(動労脱退者、指導機関士)が昭和四三年一二月五日午後五時過ころ鹿児島機関区乗務員室で、動労書記長坂田、控訴人牛根、同溜ほか二名と、動労が脱退者に対し貸与した金員の弁済に関し話し合いをしていたが、下豊留は坂田に対し、右弁済をするのと引換えに脱退者が動労を通じてしていた労働金庫定期預金の払戻しを要求した。坂田は下豊留に対し、右預金は本人と労働金庫の預金契約であるから、本人の判と解約請求に必要な書類等を持参すれば代理して行なう旨説明したのに対し、下豊留は即時払戻を要求し、できなければ期限を定めて履行する旨の念書を書くことを求めたが、坂田はこれを拒否して前記の説明をくりかえし、両者間に押問答が続けられた。この状況を側で見ていた控訴人牛根は下豊留の要求は理不尽であるとして立腹し、机上に置いてあつたビール空缶で作つた鉛筆立を取り上げ、少し持ち上げて机を叩き、「何回いつたらわかるんだ。うちの書記長を信用せんか」と大声で怒鳴つた。しかし、木原はそのとき他の者とほかの話をしており右やりとりに関係なく、まだ、机上に敷いてあつたガラス(列車窓ガラスを廃物利用したもの)が放射線状に割れたため一瞬静かになつたが下豊留はその後も同じ要求を繰返した。そこで、控訴人溜(当時機関士)は木原の側に行き同人に対し、「お前は川内に帰れ」といい、木原が「生意気いうな」と応酬するなどから口論となつたが、大原助役などに止められた。

以上のとおり認定することができ、右認定を左右する証拠はない。

(ロ) 〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。

控訴人溜は昭和四三年一二月九日午前一一時ころ機関区庁舎前掲示板附近で動労脱退の機関士福山厚志に対し、動労脱退理由について質問したが、福山は立止つたものの何らの応答をしないので、控訴人溜が説得をしていたところ、これを知つた他の動労組合員ら一二、三名が集つて福山を取囲み、控訴人溜と一緒になつて難詰し、中には罵声をとばすものもあつたところ、福山は終始黙否し、そこに来た丸内助役が「勤務につくところだから二階に上つて点呼を受けなさい。」といつて、福山の手をとり囲みから連れ出したところ、二、三名の者が進路に立ちふさがつたが、その脇を通つて二階に上つた。

以上のとおり認定することができる。〈証拠判断略〉。

(4) 控訴人北、同西田、同野添(公訴事実五関係)

〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。

控訴人野添(当時燃料係)は同北(当時機関助士)とともに昭和四四年一月二二日午後零時ころ伊集院が運転室裏出口から出るのを見て同人を追い同人に対し、裏口から出てはいけないと注意するともに、そこに来た同西田(当時機関士)と、こもごも、脱退を強く非難し攻撃したが、伊集院は「お前らのような小僧、チンピラに話しても仕方ねえ」といつて応酬し、さらに非難を続ける同控訴人らに対し、立腹の上鞄を下げたまま右肩を落して何回か体当りをして来たので、控訴人北に体をかわしてこれを避け、同西田は肩のありたを体当りされ、控訴人野添は手などでこれを制止したが伊集院の振廻した鞄がかなり強く股間に当つたところ、すぐ近くでこれを見ていた麻生助役が控訴人野添に対し「野添暴力を振うな。」と注意したので、右控訴人らはそれぞれ麻生助役に対し暴力を振つたのは伊集院である旨抗議したが、麻生助役が伊集院に後方から帰るように指示し同人はこれに従い帰つた。

以上のとおり認定することができる。〈証拠判断略〉。

(5) 控訴人吉留(公訴事実六関係)

〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。

控訴人吉留(当時機関助士)は昭和四四年一月二〇日午後五時三〇分ころ機関区乗務員室において、脱退者三井敏正が坂田書記長のもとに復帰の意向がある旨伝えに来た際数人の者が集り、誰かが三井に対し、昭和四三年一二月中旬ころから約一か月間同人が欠勤した理由につき「ノゾキが暴露されるのを心配して休んだのだろう。ノイローゼではないか。」と言つたので、控訴人は三井に対し「そうだろう。ノイローゼなら病院でみてもらえ。」と述べ、他の者がいろいろと三井にいやがらせを言うので、三井が帰ろうとして椅子から立上ろうとした際、控訴人吉留が「まあ話せんか」と同人の肩に手をやつて立上るのをとめ、三井はこれに従つた。

以上のとおり認定することができる。〈証拠判断略〉

3 控訴人らの起訴と休職処分の事情

〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 昭和四三年一二月上旬ころ南日本新聞、鹿児島新報、毎日新聞、テレビ等報道機関が動労の説得行動につき報道し、区長がそのころ局長に対し、動労の行動は度を越したもので職場の規律秩序を乱している旨報告したので、局長はそのころ管理者に対し動労の説得行動が度を越えて暴行脅迫にならないよう指導するように指示するとともに、実情を調査し監督指導するため四人の現地査察班を編成して機関区に配置した。また、同年一二月ころ警察から、動労脱退者が動労組合員より暴行等を受けている旨告訴があつたが、管理局の方から動労に注意されたいとの連絡があり、局長は労働課長論手正和に命じ、同人が動労地本委員長原田澄教に対しその旨伝え、刑事事件を起さないよう注意し、同委員長はこれを了承した。動労の組織としての説得活動はおうむね年末をもつて終息したが、それでも昭和四四年一月五日ころ掲示板に脱退者の責任は厳しく追及する旨掲示し、各人が臨時随所で説得行動を続けているうち、同年二月一六日控訴人らが逮捕され、続いて勾留されるにいたり、管理局は重ねて動労地本に対しこれ以上刑事事件を起こさないように注意したところ、動労組合員が脱退者に対し激しい憎悪感情を抱いているので説得行動はやめられないが、度を過さないようにすることについては重ねて了承する旨の回答を得た。しかし右逮捕を不当とする動労及び支援団体の抗議行動で機関区内外はしばらく騒然たる空気に包まれるにいたつた。

(2) 同年二月二八日控訴人らは身柄拘束のまま起訴されたが、その公訴事実は別紙のとおりである。そこで、起訴休職の裁量権は通達で管理局長の権限とされているが、管理局総務部長福田正之が、同運輸部長吉河好人、同労働課長、機関区長などの意見を参考にして控訴人らを休職に付するのを相当とする意見をまとめ、局長が右意見に従い控訴人らに対し前記のとおり同年三月四日休職発令をし、その報告を被控訴人が諒承したが、控訴人らはその前日保釈で(控訴人吉留のみは同年二月二八日期間満了により)釈放された。被控訴人のそのさい休職理由としたところはおうむね被控訴人が本訴において主張するとおり、次の如きものであつた。

(イ) 国鉄法三〇条一項二号、就業規則五九条一項二号、休職の基準に関する協約一一条に、それぞれ、職員が刑事事件で起訴されたときは休職とすることができる旨の定めがあり、国鉄本社の秘書課の指導要綱には起訴の場合原則として休職とする旨定められている。

(ロ) 控訴人らの起訴によつて、被控訴人の業務に対する国民の信頼を失い、信用を毀損されたので、それを回復し保持する必要がある。

(ハ) 控訴人らが起訴により精神的動揺を受け、また公判準備のため時間を要し、心労することなどから、職務に専念することができない。

(ニ) 控訴人らの各行為は職場の規律秩序を乱したものであり、控訴人らを従前どおり勤務させることは動労と新国労との紛争を拡大させて職場の秩序を著しく紊乱する結果を招き、職場の規律も更に乱れ、延いては運転事故を起す虞れがあるというのである。

以上のとおり認定することができ、右認定を左右する証拠はない。

5 本件休職処分理由の評価

(一)  被控訴人が控訴人らを休職とした第一の理由は、国鉄法、就業規則、労働協約に起訴休職の根拠規定がありその運用は原則として起訴された者については休職とする取扱いであることにあることは前記のとおりで、右各法規、就業規則、労働協約が、起訴された者を休職とすることができる旨定めており、裁量権を行使できる根拠となることは所論のとおりである。しかし、その運用の点についてみるのに、〈証拠略〉を総合すると、被控訴人が最も重視し、その職員の職務執行自体について生ずる罪種である業務上過失について起訴された場合でも、本人に故意ないし重過失があるときだけ休職としてその他の場合は休職とせず、労働公安事件で起訴された場合の統計では約半数の者についてだけ休職としていることが認められる。したがつて、運用面では、事案により異なるとはいえ、必ずしも休職としているものではなく、その裁量の範囲は相当広いものとみられる。起訴の場合原則として休職とするとの被控訴人主張は右運用の実際に反し、それだけでは処分の十分な根拠となるものではない。

(二)  被控訴人の挙げる休職の第二の理由は、控訴人らが起訴されたことにより被控訴人の業務に対する国民の信頼を失い信用を毀損されたのでそれを回復し保持する必要があつたとする。

一般に企業内にある労働者が起訴されることによつて当該企業の信用が相当の程度毀損される場合があることは否定できず、そのような場合この理由で起訴休職によつて一時的にこれを企業外に排除することも是認されなければならないが、どのような場合に企業の信用を相当程度毀損する虞れがあるかの判断をするにあたつては、(1)労働者の地位、職種、業務内容、(2)公訴事実によつて特定された嫌疑の具体的内容(動機、罪質、態様、程度)、(3)無罪の可能性の有無、などを総合考慮して決定するのが相当である。以下この観点から本件について検討する。

(1)  控訴人山内、同溜、同西田が機関士、控訴人牛根、同吉留、同北、同鶴田が機関助士、同野添が燃料係であり、少なくとも機関士である控訴人らについてはその職務内容からみると、被控訴人の業務の中枢的な内容で利用者大衆の生命財産の安全を握るものであるから、起訴による嫌疑がその人物、技術、力量に加えられるものである場合には、ひいて被控訴人の信用を毀損する虞れががないとはいえないが、本件の起訴事実は直接運転の安全に関するものではなく、控訴人らの職務上の地位は中堅的なもので自ら技術者たるほか特に部内の人事管理等影響力あるものではないことからみるとその信用毀損の程度はそう大きくはなく、これを回避するのに休職をもつてしなければならない程のものではないというべきである。その余の右控訴人らの職務はもとより機関車の運行に不可缺のものであるとはいえもともと機関士の補助的立場にあり、その影響力の如きは皆無にひとしいものであるから、本件起訴によつて被控訴人の信用を毀損することは殆んどないといえる。

(2)  公訴事実によつて特定された嫌疑の具体的内容についてみるのに、その客観的に認められるところは前記四2に判示する程度に出でず、後に全員これにつき無罪の判決を受け控訴人山内、鶴田のほかは無罪が確定していること前記のとおりである。もちろん起訴休職処分をするかどうかを決する立場にある者が、起訴の当否、公訴事実の証明の有無、犯罪の成否等について裁判所と同様の判断をすることは期待すべきものではなく、また判断しうるものでもない。しかし起訴休職の要否、とくにその嫌疑が自己の信用にかかわるものであるかどうかを決するに必要な限度においては、独自に自己の資料に基づいてこれを判断すべく、またそれは可能であるというべきである。しかるに〈証拠略〉を総合すると、被控訴人はこの点については控訴人らが起訴されたこと及びそれに付せられた罪名のみに基づいて控訴人らの休職を決定し、その公訴事実の内容については特に知るところがなかつたこと、そのような方法が従来被控訴人の行つてきた一般的な決定方法であることが認められる。しかし、休職の決定をするにあたつての被控訴人のこのような方法は相当とはいえないことは右に述べたとおりであり、これでは果して起訴によつて特定された犯罪の嫌疑が被控訴人の信用を毀損する虞れがあるかどうかの判断は殆んど不可能というべきである。

しかして本件の公訴事実はいわゆる破廉恥犯ではなく、その職務上のものでもなく、被控訴人自身に加えられたものでもなく、実に労働組合相互間の紛争を原因とする暴行脅迫事件というに過ぎないのであつて、一般人がこの認識を基にしてこれを被控訴人の信用に結びつけて評価し、ひいて被控訴人のこの面の施策を問題にするというようなことは相当困難とみられるから、これらの起訴事実が直ちに被控訴人の信用毀損まで生ずるか疑わしく、たとえ、何ほどかの影響があるとしても、公訴事実からみられる行為の態様、結果からみて、その程度は比較的軽微であり、それを回復し保持するため直ちに休職をもつて臨まなければならない程のものとはいえない。

(3)  控訴人らは起訴の当時から一貫して犯罪事実を強く否定しており、そのことは助役の現認報告自体からも窺知できたものといえるから、管理者の現認報告、各被害者の供述ばかりでなく、控訴人らの弁明をも聴取して公平な態度で仔細に真相を究明すれば、控訴人らの弁明が合理的理由があり、公訴事実は相当の変容を余儀なくされ、場合によつては無罪判決がされるかもしれないとの予測が全くできなかつたものとはいえない。

以上(1)ないし(3)の諸点を総合考慮すると、結局、控訴人らの起訴により被控訴人の信用が相当程度毀損される虞れが存在したとはいいがたいものというのを妨げない。

(三)  被控訴人は、休職の第三の理由として、控訴人らが起訴により精神的動揺を受け公判準備に時間を要し心労することなどから職務に専念できないことを挙げる。

起訴によつて他の権威に羈束されるためこれを職務から解放するのが起訴休職の本来の趣旨ではあるが、現実の適用に当つては当該事案に即し具体的に検討すべきであり、本件において控訴人らが身心ともにその職務に専念できないような制約を受けた場合であつたというべきかについてみるに、〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。

控訴人らは起訴された当時公訴事実は真実に反し、その真相は前記四2の程度以上には出ないことがわかつており、いち早く動労本部から有力な弁護団を付けられ、起訴後直ちに釈放もされたので格別に精神的動揺はなく、公判期日の見とおしもそれほど連続ひんぱんにあるものとは思われなかつた。事実、事後の事情ではあるが、右事件についての鹿児島地方裁判所の審理は、控訴人らが昭和四四年三月三日保釈(控訴人溜は二月二八日釈放)された後再び身柄を拘束されることなく、同年五月三〇日第一回公判期日から昭和四八年三月一七日判決言渡期日まで年四、五回の割合で二九回開かれ、そのうち各控訴人の関係公判回数は、控訴人山内二三回、同溜一六回、同牛根一七回、同西田一八回、同北一九回、同野添一九回、同鶴田二一回、同吉留八回(但し、言渡は昭和四五年八月六日)で、控訴人吉留、同山内、同鶴田の控訴審の審理回数も同程度の開廷割合であることから推して考えれば、控訴人らは右公判期日の出廷については全員、年次休暇等を利用し、最悪の場合でも交替等によつて対処したえたものであり、また控訴人らが自ら公判準備をしたのは冒頭陳述、当該控訴人の被告人質問、最終陳述などの重要な事項についてだけであり、それらもおうむね通常の勤務時間外に消化しうるものであつて、その余はすべて弁護人に任せていた。従つて公判の出廷や公判準備のため直ちに控訴人らの勤務に支障を生ずべきほどのものとも見られなかつた。

以上のとおり認定することができる。機関車の運転が高度の精神的緊張を要するものであることは肯認すべきであるが、機関士たる控訴人山内ら三名はいずれも経験豊富な年輩者であり、事案の規模内容推移にして前記のようである本件において、起訴が直ちに同人らの運転事故につながる蓋然性を有するものともいいがたいところである。以上の事情から考えれば当時控訴人らが起訴により職務専念義務に支障を生じ休職としなければならない程の特段の事情がなかつたものと推認することができる。

(四)  被控訴人は休職の第四の理由として、控訴人らの行為は職場の秩序規律を乱したものであり、被控訴人らを従前どおり勤務させることは動労と新国労との紛争を拡大させて職場の秩序を著しく紊乱する結果を招き、職場の規律も更に乱れ、延いては運転事故を起す虞れがあることを挙げる。

この点については公訴事実によつて特定される犯罪の嫌疑なるものは客観的には前記四2認定の事実以上には出るものでなく、事情を知る都内においてはおうむね真相に近い認識があつたものと推認すべく、その事実に基づいて判断すべきところ、控訴人らの前記四2認定の各行為は控訴人らが非番ないし勤務時間外に(この点は当審における控訴人ら各本人尋問の結果から認められる)、相手方脱退者の仕業開始前または仕業終了後に行なつたもので、その点での業務違反は存在せず、控訴人らの前記認定の行為のために、実際に列車が遅延したり運休したことも、管理者の業務指導を阻害したこともなく、また、点呼、乗務、仕業検査に紊乱を生じたことも証拠上見当らない。控訴人らの逮捕後にこれを不当逮捕、組合弾圧と主張する動労及び支援団体の抗議行動のあつたことは前記のとおりであるが、これはもとより控訴人ら自身に起因せしめられるものではなく、釈放後は急速に鎮静したのである。したがつて、控訴人らの行為が正常な業務を行うため定められた職場規律を乱し業務を阻害したものとはいえず、また当時に、将来控訴人らを休職として職場から排除しなければその虞れがあつたとすることもできない。

もつとも前記四認定の控訴人らの行為が、犯罪として成立するかどうかはともかくある程度職場の平隠を害し秩序を乱したことに一半の責任があることは否定できないところである。しかし、これらの行為の原因は、前認定の事実によつて考えれば、多年結束を誇つて来た動労支部から一団の脱退者が出て新国労に走り、なお相当の後続者が出ることが予想されたところから、動労所属の組合員に組織防衛上の危機感が生じて脱退者をもつて裏切りと感じ、これに対する説得が平和的な範囲を超え、激しく感情的なものになつて行つたところにあり、管理職に対する労働争議行為から出たものではないから直接的に業務の組織的運営に支障を生ずるものではないばかりでなく、管理職との関係では本来対立関係にない行為で労使関係からする秩序維持には関係がない。それにもかかわらず、被控訴人の管理職はあえてこれを労使関係の秩序維持の問題として把えたふしがあり、その紛争原因を不問に付して表面上に表れた行為のみを鎮圧するのに意を用いた。被控訴人側管理者は、前記認定のように現地査察班を編成配置してその調査監督指導に当らせるとともに、動労に対し二度にわたり過度な行為を慎むよう申入れをし、その秩序回復維持の努力をしたことは認められるけれども、前記のような問題のとらえ方であつたため、かえつて動労組合員は鎮圧のための管理職の取扱いが、とかく公平を欠くとして抗議をするなどのこともあつて、職場の平穏な雰囲気を乱すのを助長する一因となつたものとみることもでき、したがつて、前記控訴人らの行為によつて惹起された職場秩序違反の責任がすべて控訴人らにあつたということはできず、将来控訴人らを休職にせず職場に勤務させた場合控訴人らが再び起訴にかかるが如き行為をくりかえすとは考えられず、動労と新国労間の紛争を拡大させる存在となるものともいえない。従つて起訴があつたからといつて直ちに控訴人らを休職とし職場から排除し、これによつて職場秩序の維持回復を図るとするのは、他律的で不公平の観を免れず、相当な措置とはいえない。

(五)  以上のとおりであるか被控訴人の挙げる休職理由はいずれも失当であり、その他諸般の事情を考慮してもその根拠を見出せず、被控訴人らを休職としたことは結局裁量権の濫用にあたり無効であるといわざるをえない。

五控訴人らの賃金請求について

1 休職期間中の賃金等

(一) 控訴人らが起訴休職された昭和四四年三月四日から各復職の前日、すなわち、控訴人吉留については昭和四六年一一月二四日まで、控訴人溜、同西田、同牛根、同野添、同北については昭和四八年三月三一日まで、控訴人山内については解雇された昭和四四年六月二三日まで、控訴人鶴田については現在まで、それぞれ、就業規則五九条八項、休職の基準に関する協約一三条により毎月、基本給、同加算給、暫定手当、扶養手当のそれぞれの一〇〇分の六〇だけ支給を受けていることは当事者間に争いがない。

(二) 前記説示のとおり控訴人らの休職は無効で、控訴人が引続き就労の提供をしているものというべきことは弁論の全趣旨からこれを認めるべきであるから、被控訴人は控訴人らに対し各休職期間中(控訴人山内については解雇まで)の各給与月額のうち残余部分一〇〇分の四〇に相当する金員の支払義務を負うところ、控訴人山内については解雇まで、控訴人吉留については復職した昭和四六年一一月二五日まで、その余の控訴人らについては昭和四七年八月三一日までの分につき、まず本訴で請求するので、その額について検討する。〈証拠略〉を総合すると、前記期間中における各控訴人の欠勤、本件以外の懲戒処分その他給与規定、労働協約に基づく昇給の際の減号俸、減給等を正確に計算して、各控訴人ごとに算定した支払不足額の合計は、控訴人山内が金九万三、三五七円、同溜が金一四八万一、七二三円、同牛根が金一三三万九、八二二円(控訴人主張どおり)、同西田が金一五〇万九〇円、同野添が金八六万六、四四六円、同北が金一〇四万三、二一〇円、同吉留が金六八万三、三四六円、同鶴田が金一二三万二、二三〇円(控訴人主張どおり))、であることが認められる。控訴人牛根、同鶴田を除く控訴人らの各主張額は右額を越えるが、その超過部分についてこれを認めることのできる証拠はない。よつて、被控訴人らは控訴人に対し右各認定の金員及びこれに対する履行遅滞後の昭和四七年九月一日から支払ずみにいたるまで年五分の遅延損害金の支払義務を負う。控訴人らの右期間中の不足賃金請求は右の限度で理由があり、その余は失当である。

2 その余の給与差額について

控訴人吉留は復職した際の給与を休職されなかつた場合より三号俸低く査定された(控訴人鶴田については将来査定される)ので、その差額の支払を求めるというが、右主張を認めうる的確な証拠がないから、これを認容しがたい。また控訴人山内及び吉留を除く控訴人らは昭和四七年九月一日以降の休職なかりし場合との給与の差額を請求するところ、前顕(1)各証拠を総合すると、控訴人牛根、同鶴田を除く右控訴人らが休職期間中にそれぞれ本件以外の懲戒処分を受け、或いは、欠勤などのため、通常一年毎に四号俸づつ昇給すべきところ、給与規則、労働協約により減号俸された(その根拠は乙第四六号証の三の訂正理由参照)こと、本件休職については復職の際何ら減号俸の対象としていないこと、各復職時(控訴人鶴田を除く)の給与は控訴人溜が動乗七―七一金一一万一、二〇〇円、同牛根が動乗三―五五金七万九、九〇〇円、同西田が動乗七―四一金九万一、〇〇〇円、同野添が一般三―一九金六万一、二〇〇円、同北が動乗三―二八金六万五、九〇〇円、同吉留が動乗三―二八金五万〇、四〇〇円であること、控訴人鶴田が復職する場合他の控訴人らと同様に取扱われて給与が査定されることが認められる。

これらの事情にかんがみると右控訴人らの前項で請求する最後の月である昭和四七年八月分の差額をもつて昭和四七年九月一日から復職の前日である昭和四八年三月三一日までの給与差額を認容するのが相当であり、これによれば結局控訴人溜につき一か月三万九、六〇〇円 右七か月分二七万七、二〇〇円、控訴人牛根につき一か月二万七、一二〇円、右七か月分一八万九、八四〇円、控訴人西田につき一か月三万三、五八〇円、右七か月分二三万五、〇六〇円、控訴人野添につき一か月一万九、〇〇〇円、右七か月分一三万三、〇〇〇円、控訴人北につき一か月二万二、九四〇円、右七か月分一六万五八〇円となる。また控訴人鶴田については一か月二万七、二六〇円ずつ昭和四七年九月一日から本判決確定までこれが支払を求めうべく、将来にわたる部分は本事案にかんがみあらかじめ請求する必要あるものとして認容する。すでに復職した控訴人らの復職後の請求が理由のないことはいうまでもない。

六結論

以上のとおりであるから、控訴人山内の本件休職無効確認の訴は不適法として却下を免れず、これと同趣旨の原判決中この部分の判断は正当で控訴人山内のその点の本件控訴は棄却を免れない。その余の控訴人の本件休職無効確認の訴は、休職が不当労働行為にあたるかどうかの判断をするまでもなく理由がありこれを認容すべきであり、控訴人らの賃金請求は前記説示の範囲でこれを正当として認容し、その余は失当として棄却すべきところこれと異なる原判決主文第二項は失当であるからこれを右のとおり変更することとし、控訴人らのその余の本件控訴は失当として棄却を免れず、訴訟費用の負担につき民訴法九六条八九条九二条を、仮執行宜言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(浅沼武 蕪山厳 高木積夫)

(別紙)公訴事実

一 被告人山内明は

1 昭和四三年一二月七日午後五時すぎころ鹿児島市浜町二番九六号国鉄鹿児島機関区更衣室において、他の約三〇名とともに野村進(当四八年)を取り囲み、右手指で同人の右胸を二回、左胸を一回各強く突き、さらに右膝で同人の腹部付近を一回蹴り上げ、もつて多衆の威力を示して暴行を加え

2 昭和四四年二月一四日午後五時すぎころ右機関区乗務員室において、他の約一二名とともに右野村進を取り囲み、右手で同人の作業服の前襟首を強く掴んでひねり上げ、もつて多衆の威力を示して暴行を加えた。

二 被告人山内明および被告人鶴田征四郎は、共謀のうえ、昭和四四年一月一八日午前九時二〇分ごろ前記鹿児島機関区旧車庫前において、こもごも伊集院操(当四六年)の背後から同人の襟を掴んで引張り、また同人の前に立ちふさがつてその胸付近を手、肘、肩で突き、さらに被告人鶴田征四郎において右伊集院操の首を左手で巻いて腰を使い、同人を地面に投げ倒し、もつて共同して同人に暴行を加えた。

三 被告人牛根慶夫は、昭和四三年一二月五日午後五時二五分ころ前記国鉄鹿児島機関区指導室において、木原司兵衛(当四四年)に対し、「何を」と大声をあげ、矢庭に筆立代用のビール空缶を同人の目前の机上に叩きつけ、同人の身体に害を加えるような気勢を示して同人を脅迫した。

四 被告人溜和典は

1 同日時ごろ同所において、右木原司兵衛に対し、「何を、叩くぞ」と大声で叫びながら同人に詰め寄り、右手を振り上げ、同人の身体に害を加えるような気勢を示して同人を脅迫し

2 同月九日午前一一時ごろ右鹿児島機関区庁舎前掲示板付近において、福山厚志(当四〇年)に対し、「二階に上らせるな」と叫んで他四名と共に同人をとり囲み、右肩および右肘で五、六回同人の胸部に体当りし、もつて多衆の威力を示して同人に暴行を加えた。

五 被告人北弘人、西田治司及び野添勲は、共謀のうえ、昭和四四年一月二二日午後零時ころ前記国鉄鹿児島機関区庁舎前で、被告人西田治司において、伊集院操の胸部を肩および肘で各二、三回突き、被告人北弘人において右伊集院の胸部を腹で二、三回押し、被告人野添勲において右伊集院の肩および胸部を両手で約一〇回突き、もつて数人共同して同人に暴行を加えた。

六 被告人吉留務は、昭和四四年一月二〇日午後五時三〇分ごろ前記国鉄鹿児島機関区乗務員詰所において

1 三井敏正(当三三年)に対し「ノイローゼにして、脳病院に入れてやる」と申し向け、同人の身体に害を加うべきことをもつて同人を脅迫し

2 ついで、右三井敏正が椅子より立ち上がるや、同人の着衣の右上腕部付近を右手でつかんで下方に強く引張り、同人を強いて椅子にかけしめ、もつて同人に暴行を加えた。

罪名及び罰条

一の1及び2、二、四の2並び五につき各暴力行為等処罰に関する法律違反 同法一条、刑法二〇八条三、四の1及び六の1につき各脅迫 刑法二二二条一項

六の2につき暴行 刑法二〇八条

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例